最近更新が滞っているのは、年末で忙しいから……、というわけではなく、第何次かわからないROブームが到来したせいで、ブログを更新する時間すら惜しかったから、というとんでもない理由だったからです。 ごめんなさい。
そろそろ、小康状態になってきたので、今後の更新は大丈夫、だと思います。 思いたい。
そんなわけで、これまで今回もあった出来事を書き記します。
【里子に出した話】
年末休みに入って毎日が日曜日になったので、部屋に引きこもってグレイセスをガッツリやっていたら、親から
「引きこもってないで運動しなさい。 『書を捨てよ、町に出よう』っていうだろ」
みたいなことを言われた。
いやいや、さも慣用句のように使っているけど違うから。 そんな寺山修司、最近の若い子に使ってもわかんねえから。 というツッコミはともかく、確かにこのところ運動らしい運動をしない不健康生活で、自分でもどうかと思うところもある。
それに本(主に漫画・ラノベ)の蔵書も増えたせいで、本棚からあぶれた本が塔をなしてきてもいる。
丁度、年末でもあることだし、本棚の整理をするためにも、いらない本を捨てるのではなく里子に出しに行くか。
というわけで、いらない本をどんな本でも見た目で引き取ってくれる某古本屋に里子に出してきました。 あー、長い前振り。
出してきた本のうちの1つが、『まぶらほ』シリーズ。 多分24冊。
面白くないがなぜか買っちゃうラノベとして一巻が出た当時から買い続けていたが、最近とうとう読むのもつらくなり、3冊も読まずに積んでいた状態だったので、せめてこれを読んでから里子に出そうと思っていたのだが、うち1冊を10Pほどがんばって読んだところで、ギブアップ。 『この本は読めない』との結論に至ったため、3冊はほぼ読まずに里子行き。 大抵の作者は巻を重ねるごとに腕が上がるというのに、10年近く書き続けても一向に面白くならない作者ってのも珍しいなあ。
ついで多いのが、『アスラクライン』シリーズ。 13冊。
本屋でポップが立っていたのが読み始めのきっかけで、メインストーリーの最終巻まで読み続けてみたけど、結局最後まで私の好みとは若干ずれていたので里子行き。
他、表紙買いラノベと漫画が5冊で、合計42冊を里子に出しましたが、戻ってきたのは1kちょっと。
富士見Fは最近表紙カバーの装丁を変更したから、当時の装丁、しかも初版の『まぶらほ』は今じゃ入手できないし、『アスラクライン』も13巻発売前に全巻の表紙を変更しているから変更前のカバーはもう入手できないと思うんだけどなあ…。という思惑は、やはりというか、某古本屋の前ではまったくの無意味ちゃんだったわけでした。
まあ、他の店でも無意味ちゃんに等しいと思うけど。
でも、おかげで本棚がすっきりして、あぶれていた本が入るようになりました。
よかった。 よかった。
【最近楽しみなアニメの話】
オタク文化が深く静かに浸透する昨今、世界が認めるジャパニメーションもまた然り。
もはやアニメはユビキタスの存在といっても過言でない。 いや、過言でした。 ごめんなさい。
無意味な大言はどうでもいいとして。
最近、私が毎週楽しみにしているアニメが2つあります。
ひとつが『DTB』。
動きの綺麗な作画と、個性的なキャラクターたちは見ていて飽きさせません。 蘇芳は可愛いです。
そして、もうひとつが『赤毛のアン』。
『こんにちわ~』のほうじゃありません。 昔のアンです。 グリーンゲイブルズのほうです。
今冬から何を血迷ったのかCTCが平日のゴールデンタイムに2話連続計1時間で『赤毛のアン』の再放送をやりだしたので、それを毎週みていたらいつの間にかハマッてしまった次第です。
なんというか、私ではとても思いつかないアン独特の斬新で大胆な妄想が聞いていて飽きませんし、素朴なキャラクターや必要以上も以下もないゆっくりとした動きで展開されつつも、それでキャラクターの心理を的確に表現しているところなんかは、萌え思想や激しいアクションばかりの現代アニメとは違った面白さがありまして、毎週見るのが楽しみになってしまいました。
なにより、素朴で純粋なこの作品が汚れきっちまったオタクの心を浄化してくれるようで、云々。
やっぱり、昔のアニメ。 特に世界名作劇場は名作ですわ。
【DTBの話】
で、先日、楽しみにしていたうちの『DTB』が最終回を迎えてしまったわけですが、最終話でいろいろぶっ飛び過ぎて、難解キャンディーズといわざるおえない作品となってしまった。
尺が足りなくて無理やり終わらせた感じも否めませんし…。
ジャンプの連載開始4週目ぐらいで巻末に置かれたそのまま終わった漫画のような展開だったし…。
話もなんだかややこしいし。 おかげで頭が混乱してきた。
とりあえず、結末を一度整理しつつ、蘇芳の中の人が今度やる文学少女の遠子先輩ばりに想像を働かせて、結局どうなったか自己解釈すると、ええっと…、
《以下ネタバレのため、炙り出し》
つまり、紫苑の能力は、フォミクリーを作り出すことで、それを使って、紫苑と紫苑ダディは地球と地球上の全生物のフォミクリーを作って、契約者のいない正しい世界を作り出すことが目的だった? もしくは、そこに死んだ蘇芳を蘇らすのが目的?
そのために大量のイオン様…、もとい、紫苑様のフォミクリーを作って、ドールネットワークとMEネットワークを構築して、全人類の記憶と記録をとって人類のフォミクリーを作る環境を整えた?
でも、紫苑のフォミクリー技術には欠陥があって、人間をコピーしたとき本来のLv5ではなくその性能の1%未満のLv2の異能力しかない出来損ないのレプリカしか作れないかはどうだか知らないが、MEで記憶を植えつけても長時間記憶することが出来ず、また、紫苑自信をコピーした時は、何らかの差異が生じるため、今まで計画は実現できなかった?
そこで流星核?
フォミクリーに流星核を持たせることで記憶の保持が出来る可能性が出てきたので、紫苑自身のコピーで実験することにしたが、出来たコピーが女の子だったので、便宜上、過去の事件で他界した紫苑の双子の姉の蘇芳にして、ロシアから東京の間で記憶が保持され続けるか実験をした?
もしくは、過去の事件で他界した蘇芳を蘇らせるために、事件の直後に能力の欠陥を逆手にとって蘇芳を作った? ついでに実験もして安住の地としてコピー地球に住まわせた?
でも、何で銀に会わなきゃいけなかったの?
どうして、銀がああなっちゃったかは、きっとDVDの特典OVAをみればわかると思うからその話は置いといて、最終話あたりの銀の能力は能力者の自殺らしい。 むしろ、近づくものはデストロイって感じ。 はっきりいって、紫苑とダディの計画とはまるっきり間逆の関係に思えるのだが。
そこで流星核?
そもそも流星核とはなんぞや? と考えると、字面から思いつくのが契約者の証であるお空の星。
契約者が死ぬと星が流れる、というのがあの世界の常識らしいから、流れた星の核が『流星核』なのではないのかな? 事実、紫苑と流星核との遭遇は物語から2年前に起きた『東京契約者がいっぱい死んじゃった事件』で流れた星がたまたまQK中のチェンコ親子に激突したときらしいから、そのときの星が元は契約者の星と考えて間違えないのではないか?
そして、フォミク…、面倒くさい。 コピーの記憶を保持するためには流星核が必要だけど、地球規模でコピーすると考えると、流星核の効果範囲が定かではないので詳しいことはわからないが、蘇芳のように一人に対して1個だとすると、人類分捻出するのは、難しいのではないか?
んで銀?
最終回の銀の力を使えば契約者を容易に抹殺することが可能だ。 契約者が死ねば核落ちる。 大量に死ねばそれだけ核も落ちていく。 つまり銀の力があれば大量の核を簡単に用意することができるのではないだろうか?
もしもそうならば、映画ルパンのマモーみたいなガリガリの顔になった紫苑が最期にいった『取引』とはつまり、銀との間で「コピー世界を作るから流星核おーくれ!」ということが交わされたということだろうか?
そういえば、蘇芳と銀のコードネームとなった日本神話の神、『イザナギ』と『イザナミ』。
私の記憶が確かならば、日本神話では、なんやかんやあって死んだイザナミに会うためにイザナギが黄泉の国に行く話があったはず。
結果的にはイザナギはイザナミと再会するんだけど、なんやかんやあって夫婦喧嘩が勃発したあげく、
「マジむかついたから、一日1000人の人間をぶっ殺す!」
と、とばっちりもいいとこのマジギレをイザナミがしたはず。
それに対してイザナギが、
「じゃあこっちは一日1500人の人間を生むからね!」
と、まったく根本的解決になっていない逆切れをしたことで、人間に死が生まれたとかなんとか。
迷惑この上ないこの話にDTBの話を照らし合わせて考えてみると、
黄泉の国(地獄=ヘルズゲート)でイザナギ(紫苑)とイザナミ(銀)が会うことで、イザナミ(銀)が(契約者を)殺し、イザナギ(紫苑)が(コピー)人間を(コピーの地球に)生む
といった感じにはまってくれるし、大筋、前述の仮説になる。
でも前述の仮説が正しい場合、増えるのはコピー世界の人間だけ。 ゲートがある限り契約者は生まれるから本来の世界の人類は減る一方。 もしかして、危惧されている終末とは、この輪廻転生ともいえる死のシステムによる人類滅亡?(な、なんだってー!
でも、紫苑は死んじゃったからコピーはもう生まれないか…。 でも、コピー紫苑ズが能力も引き継いでいたら…。 あー、でも……、しかし……。
うん! やっぱわかんねえから三期作って解説してください骨の人!
そういえば、日本神話といえば、黄泉の国でイザナミが雷の邪神を生むという話もあるけど、最終話はこれに引っ掛けているのかなあ。
ところで、
まったく話は違いますが、
蘇芳が能力を使うシーンになる度、頭の中でドラえもんが四次元ポケットから道具を出したときのBGMが再生されたのは私だけでしょうか?
どうしようもなくオタク。
たぶん一生オタク。
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